長崎は市電が充実していて観光地へのアクセスが良いのが嬉しいです。さっと乗れて、車窓から間近に町を見ることができるのがいいですね。運賃も安い。
2日目最初の観光は出島。実は、今回の旅行で長崎のガイドブックは買いませんでした。10年以上前のものですが、九州のガイドブックが家にあったので今回はそれでこと足りるだろうと。そのガイドブックでは出島についてはほんのわずか書かれていただけなので、多分、跡地にジオラマがある程度、20分もあれば見終わるだろう、今日はずいぶん早くにホテルに戻ることになりそうと思っていたのですが。
市電の「出島」駅で降り、出島方面を見るとなにやら立派な町並みが。
水門です。すでに外回りから充実しています。
1612年、徳川幕府は直轄地にキリスト教禁止令を発布し、1613年に全国に発令しました。さらに、ポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために、1634年、長崎の岬の突端に人工島を築き始め、1636年に完成。こうして出現した出島には当初ポルトガル人が居住していましたが、まもなく幕府とポルトガルの関係が悪化し、1639年にはポルトガル人の日本渡航が禁じられました。いったん無人の地となりますが、1641年、幕府の命令でオランダが平戸から商館を出島に移転、以後はオランダ人が住むことになりました。
長崎には通常、1年に一度オランダ戦が来航しました。大きなオランダ船は沖に停泊し、積荷は小船でこの水門に運ばれたそうです。
西側護岸石垣です。これも外回り。
出島の北側には中島川が流れており、橋を渡って表門から中に入ります(入場料は大人520円)。これは表門メインゲートに行く途中、中島川から撮った写真です。倉が写っています。
いよいよ中へ。
これは嬉しい誤算でした。中には出島が相当に復元されていて、大変な充実ぶり。建物の復元は三期にわたって行われました。2000年に第I期、2006年に第II期、2016年に第III期。そして2017年に出島表門橋が完成しました。私たちのガイドブックは情報が古すぎました。
建物の内部は当時の様子を再現しているものもあれば、歴史博物館になっているものも。この博物館タイプになっている建物がかなりあり、当時の貿易、出島での暮らし、出島で活躍した人々に関する様々な展示があります。輸出品の主力が実は銅だったことは初めて知りました。陶器については、海外から日本に入ってきたもの、日本から輸出したものだけでなく、当時のアジア各地での陶器を展示した、専用フロアもありました。出島の暮らしについては、出島で使用されていた生活用品のみならず、発掘された動物の骨も展示されており、出島では家畜だけでなくペットもいたと説明がありました。展示されている資料、絵画には複製もありましたが、多くは長崎歴史文化博物館となっており、いずれはこの博物館にも是非行きたいと思いました。
これは乙名(日本側の貿易事務や管理を担当、出島町人の中から選出)部屋の内部の復元です。
これはオランダ商館長(カピタン)部屋の2階。カピタンの事務所や住居として使用されていた、出島で最も大きな建物。
1976年に制作された15分の1の模型。外にあります。てっきり、この程度のものかと思っていたら、全く違いました。
総じてこの出島は、長崎観光で間違いなく必見の、やる気がみなぎったミュージアムです。興味深いものがあまりに目白押しで、結局2時間ほど滞在しました。今後も復元整備を進め、最終的には四方に水面を確保して19世紀初めの扇形へと完全復元することを目指しているそうです。さらに充実したミュージアムになる可能性大。
次の観光地へは「新地中華街」駅で乗り換えるので、いったんここで降り、中華街で昼食をとることにしました。
この中華街、想像よりもずっと小規模でした。そして外から見ると同じような店ばかりで、どう選べば良いのか分からない。結局、門から入ってすぐのお店にしました。小麦アレルギーなので春雨の麺を選びました。出島は建物内部はクーラーが効いていましたが、外がとんでもなく暑いのでへたばってしまった体に、春雨は大変食べやすかったです。野菜たっぷりも旅行者には嬉しかったです。