夏の長崎・五島旅行 —中通島2日目 教会巡り—
中通島ではひたすら教会巡りをしました。2日目は貸切観光タクシー 上五島を自由に観光4時間コースを利用。福江島と同じく地元のタクシードライバーから色々と説明を聞くことができました。ただ、福江島の方よりは寡黙。といいますか、福江島の方がいかに饒舌で頑張ってくださっていたのか、よく分かりました。
運転手さんとしては、まずはホテルに近い大曾教会堂に案内するつもりでしたが、すでに昨日自分たちで行ったので、上五島地区を北上し、この地区の最北にある冷水教会に向かいました。当時27歳の鉄川与助が独立して初めて設計施工した木造教会で、1907年に献堂式が行われました。
奈摩湾をぐるっと回り、冷水教会の対岸にある青砂ヶ浦天主堂を訪れました。
鉄川与助が手がけた三つ目の教会堂です。レンガ造りのものとしては二つ目。1910年8月に竣工し、同年10月に献堂式が行われました。現在の建物は3代目で、2001年に国指定重要文化財になっています。ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の1つでしたが、その後、構成資産の見直しにより外されました。外された理由は、この青砂ヶ浦天主堂が建つ地区があまりにも現代風だからとのことです。
天主堂からの眺めです。これがまずいのですね。中通島で唯一、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録された頭ヶ島の集落は往時の姿が保たれている(その代わり現在住民はごくわずか)けれど、ここは近代化しすぎているとのこと。でも、それは今に至るまで集落が生き続けている証で、それこそ価値があると私は思うのですが。
残念ながら、私たちが行ったときは天主堂の中を見ることはできませんでした。
このあとは島の北端にある細長い新魚目地区をひたすら北上。まずは江袋教会を訪れました。
1882年に建立され、現役の教会としては国内最古の木造教会でしたが、2007年に火災で焼損しました。2010年に焼け残った柱や梁などを利用して修復されました。他の教会堂とは趣が異なり、いかにも古い外観です。
さらに北に進んで、仲知教会に着きました。
中通島のほぼ最北端にある仲知ですが、1810年頃に移住開拓が始まりました。1932年に主任座が先ほど見た江袋教会から仲知教会に移り、1978年に三代目となる現在の教会堂が建立されました。教会堂はその集落の信者たちが多額の拠出と労働奉仕をすることで建立されるそうですが、運転手さんの説明によると当時この地域は漁業で豊かだったそうで、内部は美しいステンドグラスで彩られています。ステンドグラスは高価なので、多くの教会堂は一見ステンドグラス風でもただの絵なのですが、ここはステンドグラス。しかも、聖書の場面が描かれる中に地区の漁師たちの姿もあるのがユニークです。
ここからは一気に南下して、有川地区の西部、鯛ノ浦港の近くにある旧鯛ノ浦教会に行きました。
外海の出津の潜伏キリシタンが移住してきた地にあたり、集落は五島崩れの際に厳しい迫害を受けました。初代の教会堂が建ったのは1881年。この旧鯛ノ浦教会は1903年に建てられました。
1948年には鐘塔が増築され、長崎の旧浦上天主堂の被爆レンガが一部用いられています。
ただ、潮風により老朽化が激しくなり、1979年に現在の新しい教会が建てられました。こちらは今は資料室、および教会学校の教室として利用されています。
現在使用されている教会は内部撮影禁止ですが、ここはすでに教会としては使用していませんので、中を撮影できました。