夏の長崎・五島旅行 ー日本二十六聖人殉教記念碑ー
五島にいたときは気がつきませんでしたが、中通島から長崎に戻ってきてみると、島がいかに空気がきれいだったかよく分かりました。長崎ですら空気によどみを感じます。
この日のうちに空路で帰京となりますが、空港へ行くまでに少しだけ時間に余裕がありましたので、日本二十六聖人殉教地に行くことにしました。
1587年に豊臣秀吉は伴天連追放令を出しました。1596年、スペイン船サン・フェリペ号が台風で土佐に漂着。これをきっかけに、フランシスコ会の宣教師らの無許可の布教活動が、秀吉の耳に入りました。秀吉は見せしめのため、京都でフランシスコ会宣教師6名、フランシスコ会の教会や病院などに居合わせた日本人のイエズス会修道士13名、他に料理番や大工など一般信徒5名、計24名を捕縛しました。彼らは片耳を切り落とされ、徒歩で長崎に向かいました。約1ヶ月の道中、さらに2名が加わりました。そして1597年2月5日、26名は長崎の西坂の丘で十字架に架けられました。キリスト教信仰を理由にした日本で最初の処刑でした。処刑の跡地にはこのように祈念碑が建てられています。
1862年に26名は列聖され、それから100年目の1962年に、この日本二十六聖人殉教祈念碑が建てられました。
2023年夏、私たちの、かくれ・潜伏キリシタン関連地を巡る旅はこの殉教地をもって終了です。
搭乗まで時間があったので(飛行機が遅れていました)、長崎空港で夕食をとりました。
羽田空港や成田空港の食事は値段が高く、内容はイマイチですが、長崎空港はなかなかのレベル。値段、内容、共に満足でした。
離陸です。上空からの長崎の夜景。
飛行機が遅れたからか、フットレストがある快適なシートでした。
そしていよいよ羽田空港が見えてきました。様々な経験ができた長崎・五島旅行もこれで終わりです。なかなか書く時間がとれず、執筆に1年もかかってしまいました。思いがけない長期連載となりましたが、お読みくださりありがとうございました。
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